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プロフィール

ダイ

Author:ダイ
手縫家一圭の作り手:ダイ

革細工のきっかけ:
歳相応の革の鞄を探していたが欲しいものが見つからず、いっそのこと作ってやろうと、そんなこんなで今に至る。しかし、始めてから4年になるが、いまだに欲しい鞄が作れていない(笑)
基本的に和風が好きで、模様や絵ではなく、形や雰囲気で和を出すことを目標にしている。

趣味:読書

悩み:極度の雨男。軒から出ると雨が降り、戻るとやみ、また出ると降り、戻ってやむ、ということが実際にあったほど。イベントにたまに一緒に行く友人がいるのだが、こいつも雨男。二人が揃うと、自然に雨を前提とした計画になる(笑)
イベント仲間に
『あれ?一圭さんがいるのに雨が降ってない。』
と言われたことがある(ノω・、)

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晏子

2014.02.03 23:11|日記
先ほど、私の愛読書である『晏子』(宮城谷昌光著)を読み終わりました。
3周目です。
いやあ、毎度のことですが、清々しいです^^

晏子は紀元前500年に80越えて亡くなった人ですので、春秋時代の人物です。
本名は晏平仲嬰(あんへいちゅうえい)

この人を一番始めに見つけたのは、四字熟語の辞書の中です。
当時私(27ぐらい)は、四字熟語の辞書を毎日1ページずつ覚えていくという、学問の習慣を本当に珍しくつけてました。
その中で『晏子狐裘』という熟語で出会いました。

この漢字検定の会社?の出している四字熟語は熟語によって詳しい説明や物語があり、それを読んだ時に気になるようになりました。どんな人なんだろう、と。
それからわずか数日後、訪れた古本屋で『晏子』という題名の小説を本当に偶然に見つけました。あまりに嬉しくて心の中でウホウホと小躍りしていたのを今でも覚えています(笑)

ワクワクしながら読み出したその本は、初めて中国歴史の小説を読むということもありますが、文体が読書始めて4年くらいの私にはとても難しく、とても体力を使う本でした(笑)まるで漢文のような。
疲れながらも少しずつ読んでいくと、辞書を見て想像した通りの、私の心の中の規範としたい思った通りの人物であり、晏子の人格に自然と吸い込まれていきました。

4巻仕立てなのですが、すべてを終わった時の疲労感といったら。。。^^;
しかし、理想そのままの人物がここにいた、となんとも言えない充足感を感じました。

それ以来、晏子のみならず、宮城谷昌光氏の小説にどっぷりはまってしまいました。
なぜか分からないのですが、この方の小説は私の心にすうっと入ってきます。
良い本に巡り会えたら幸せと聞きますが、それは本当ですね!
ただ、たかだか4年くらいの読書初心者の私がこうも早く出会うとは思いもしませんでした。

『晏子』の私の一番好きなページは最後にあります。

晏子の危篤をしった景公(君主)ですが、遠方に遊びに出ていて、とても晏子の生きている内には間に合いません。
しかし、間に合わないと知っても馬車を出発させ、御者(馬車の運転手)は手を抜いていないのですが、景公にはとても遅く感じられ、御者を押しのけて自分で手綱を操ります。飛ぶような速さになりますが、それでも遅い。馬は走っているのか?と感じられ、馬車を飛び降り、自らの足で走り出します。
走りながら泣き、泣きながら走り。

しかし間に合わなかった景公のこのくだりが好きなのです。

晏子邸に走り込むと景公は晏子の遺骸にとりすがり、
『あなたは・・・、いつもわたしをいさめてくれたなあ。それでもわしの淫佚はなおらず、怨みと罪を人民の上に積んだ。いま天は禍いを斉(晏子のいた国、景公の国)にくだした。天は禍をわしに与えず、あなたにあたえたということが、それだ。斉の社稷は危い。これから人民は自分たちの意いをたれにつげたらよいか、わからぬであろう』
と、涙を噛み締めながらいった。
景公は泣哭しつづけ、葬儀における礼をはずしたので、側近の一人が、
『非礼でございます』
とささやいた。
『このようなときに、礼がなにか。わしはかつて、一日に三度晏嬰にいさめられたことがある。だが、聴かなかった。今後、わしにそうする者はいまい。晏嬰を失えば、わしの亡びも遠くあるまい。亡ぶ者に礼がいろうか』
景公は、涙が涸れ、哀しみが尽きてから、晏嬰邸をあとにした。
虚しい足どりであった。
景公の死はこの年から十年あとにおとずれる。


ここでの感想は書きませんよ。ってか書けないというのが本音ですが(笑)
学生の頃から勉強大嫌いな私は、語彙力が無いのでまともな感想文が書けません。当文を読んで納得いただけると思います(ノω・、)
軽い言葉でうすっぺらく感じさせるような感想をいってしまいそうなので勘弁して下さいm(__)m


話は変わりますが、晏子は倹約家です。どれくらいといえば、晏子の家で肉が出ることはほとんどないくらいです。というのは、倹約のためでもありますが、下働き(日本では下男・下女というのでしょうか。奴隷がなる場合が多いようです)の者の食事と自分たちの食事に違いをつけず、同じ物を皆で食べようということでもあるそうです。
そして倹約した財物は、飢饉や天災など、もしもの時に国民に対して蔵を開くため。

130〜140㎝という小柄な体格にも関わらず、その肚の座り方といったら、肝が歩いているようなもの。
それなのに庶民に気軽に声をかけられる優しさをもった宰相などこの時代までにそうそういるものではありません。

皆さんも、気になったら読んでみて下さい^^

ちなみに、一日1ページは、2ヶ月くらいで終わったことは言うまでもありませんね(笑)
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